私達は、過ちを犯しても神に無条件に愛されている
この間、ある知り合いの男性に「昔、悪い事ばかりしてしまった人間はどうしたらその罪を償えますか?」
と質問された。
彼は元ヤクザ、体中に刺青が入っていて昔は相当人に迷惑をかけて生きていたらしい。
今は足を洗って飲食業を営んで一生懸命に働いている。
そんな彼は、昔散々悪い事をして人を泣かせたり、暴力を振るったり脅かしたり色々やっていたらしくて、今はとても後悔していた。
私は特別に何かの宗教に属している訳ではないし、神父でも牧師でもないから偉そうな事は言えない。
でも、昔、私も苦しかった時に聖書や仏教聖典や他の色々な書物を読んでその言葉の力で救われたり癒されたりする事が多かった。
彼の言葉を聞いた時に、イエスが十字架に磔になった時に一緒に磔にされた一人の犯罪人が、イエスに訊ねた言葉を思い出した。
ルカによる福音書23章33~43
「されこうべ」と呼ばれている所に来ると、そこで人々はイエスを十字架につけた。
犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた。
〔そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」〕
人々はくじを引いて、イエスの服を分け合った。
民衆は立って見つめていた。
議員たちも、あざ笑って言った。
「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい。」
兵士たちもイエスに近寄り、酸いぶどう酒を突きつけながら侮辱して、言った。
「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ。」
イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王」と書いた札も掲げてあった。
十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。
「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」
すると、もう一人の方がたしなめた。
「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。
我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」
そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。
するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。
彼が私に訊ねた言葉の中には本当に申し訳ない事をしたと言う懺悔の気持ちと、新たに人生をやり直したいと言う希望が見えた。
自分の過ちをしっかり認めて、心の底から「本当に自分が悪かった!」と思うなら神はどの人間も決して見放さない。
もし、信じている宗教や何かの教えが、罪を犯した人間は「地獄に落ちる」とか「救われない」等と脅かすような事を言うならば私はそんな変なものは信じない方がいいと思う。
神は裁きの神ではない。
自分を磔にして殺そうとしている人間に対しても、
「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」
と言って彼らを許している。
神から見捨てられている人はこの世に存在しない。
どんな過ちや失敗を犯したとしても神が
「なんでそんな事をしたんだ!
お前だけは救えないから地獄に行ってくれ!」
゛
そんな事を言うはずがない。
ただし、神は裁かないけれど、自分の良心の呵責に耐えきれなくて死んでから自ら地獄(実際には存在しないけど自分の心が創り出した幻想の世界)で苦しむ魂もいる。それでも救いを求めれば必ず助けが来て救われていく)
だから、私はどんな人でも生きて、人生をやり直す事ができると信じている。
失敗も過ちも一度も犯した事がない人はこの世にいない。
私達は苦しみながらも、もがきながらも 一つ一つ経験しながら成長していく。
迷う時もある、
わかっていても思うようにできない時もある、
疲れて生きるのが嫌になる時もある、
自分だけ一人ぼっちで世界で自分が一番淋しい人間だと思う時もある、
どれだけ落ち込んでも、どれだけ自分が嫌になっても、
それでも、
それでも、
私達は神に無条件に愛されている。
まだ何もわからない1才位の赤ちゃんが何かを壊したからと言って「何で壊したの!」と本気で怒る親はいない。
1~2才の子供が何かを壊しても親が本気で怒ったり見放したりしないように、神の愛も同じように私達を大きな愛で見てくれている。
⚠️神と言うのは限定された一つ存在を指している訳ではなく、神とは無限の「すべて」を指している。この宇宙すべて、ありとあらゆるすべてのものが神の現れ。
だから、失敗してもいいんだよ。
間違ってもいいんだよ。
泣きたいだけ泣いていいんだよ。
私達は一人じゃないから!